2016年05月09日
高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」への使途指定寄附(募集期間:2015年4月1日~2016年3月31日)について以下の通り報告いたします。
お預かりいたしました、寄附金総額「57,160,000円」は、「まなべる基金」の奨学金として全額給付させていただきました。ご寄付いただいた皆様のご支援、ご協力に心より御礼申し上げます。
2016年4月1日以降も、高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」の指定寄付金を継続して募集しておりますので、引き続き、多くの皆様からのご支援をお願申し上げます。
まなべる基金使途指定寄付金 | 51,586,392円 |
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それ以外の寄付金(一般寄付金) | 5,571,244円 |
利息 | 2,364円 |
収入合計 | 57,160,000円 |
第3期(2015年後期6カ月・421人分として(※)) | 52,800,000円 |
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第4期(2015年後期6カ月・86人分として(※)) | 6,880,000円 |
支出合計 | 57,160,000円 |
※支給額の異なる3年制高校(月額2万円)および4年制高校(月額1.5万円)在籍生徒分をいずれも含みます。
公益財団法人東日本大震災復興支援財団では、東日本大震災発生を受け、2011年11月に高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」を創設いたしました。
震災後、被災した学生向けにたくさんの奨学金制度が立ち上がりましたが、その多くは遺児・孤児が対象のものでした。
また同じ被災地でも、被災や失業による経済的な理由で進級・進学が危ぶまれる学生がたくさんいることも分かりました。
当財団は、そうした状況を被災地の皆様から伺い、返還不要の奨学金を、月20,000円、在籍中最長4年間(※1)給付する奨学金制度の実施を決定いたしました。
これまでまなべる基金では、第1期(2012年4月給付開始)では1,192人、第2期(2013年4月給付開始)では815人、第3期(2014年4月給付開始)では472人、第4期(2015年4月給付開始)では87人、第5期(2016年5月給付開始)では77人を対象に(※2)支援を行っております。
2016年3月には、第1~4期の奨学生のうち、519人が無事卒業し、それぞれの新しい道を進むことになりました。
「まなべる基金」を受給していた卒業生から、寄付いただいた皆さまへメッセージをいただきました。是非ご覧ください。
※1まなべる基金(第4期)からは3年制高校は年16万円、4年制高校は年12万円を給付しております。
※2支援決定後の辞退などがあったため、発表時の人数と支援人数とは若干異なります。
教室の清掃時間中に突然、大きな地震が来たのは、中学一年生のときでした。すぐに校庭に避難しましたが、家族のことを思いとても不安でした。しばらくして母と再会することができ、一緒に小学校へ避難しました。
自宅が被災したため、家族と避難所生活を4カ月送りました。勉強どころではなく、とてもつらくて長い4カ月間でした。けれども、地域の人たちと一緒に被災生活を送ることで、人と人とのつながりの大切さを感じた日々でもありました。
「まなべる基金」の奨学金は部活の遠征費や、模試の受験費用に使わせていただきました。奨学金があったから卒業もでき、将来の夢を持ち続けることができました。本が好きなので、司書になって地元の図書館で働くことが私の夢です。
「まなべる基金」の寄付者の方々に直接御礼は伝えられませんが、これからも感謝の気持ちを忘れずにいたいです。ありがとうございました。
震災当日は卒業式でした。見慣れている海が、いつもの様子と違いました。次々と人や家、船が流されていくのを見つめるしかなく、涙が止まりませんでした。私が暮らしていた閖上は近所づきあいの良い地域で、登下校の際にはたくさんの方々に見守られて育ってきましたが、最後の最後まで避難誘導をして命を奪われてしまった方には、もう会うことができません。そしてクラスメイトも亡くしました。
元から子どもが好きで将来の夢は保育士でしたが、震災を機に児童養護施設で働きたいと考えるようになりました。避難所で出会ったような心に傷をもった子どもたちの心の支えになりたいです。高校生活の多くの時間は、子どもに関わるボランティア活動に費やしました。「まなべる基金」の奨学金も、ボランティア活動の費用や、将来のために福祉関係の本の購入に使わせていただきました。
奨学金は、夢に近づく一歩となりました。震災後、先が見えない生活に自分の夢を諦めかけましたが、それでも支援してくれている方々がいるということを励みに、「頑張らないと」といった気持ちになれました。寄付者の皆さんに本当に感謝しています。ありがとうございました。
2011年3月11日は中学校の卒業式前日で、在校生として翌日の準備をしていたところ、地響きが鳴りました。ボイラーが壊れたかと勘違いするほどの、大きな音と揺れでした。通っていた中学校が避難所となり、野球部員は皆、避難所運営に携わることになりました。家も被災し、家族と共に避難所生活を送りながら、食糧の配布などを手伝いました。学校は5月になってようやく再開しました。
避難所生活の間に仲良くなった友人は、障がいがあって、彼と親しくするうちに、将来は、障がいのある子どもの教育に関わる仕事に就きたいと思うようになり、今後は大学の教育学部に進学するつもりです。
将来の目標を見つけて、一年生の秋から受験を意識し、勉強には力を入れてきました。「まなべる基金」の奨学金を活用できたからこそ、ここまで来ることができたと思います。奨学金は心の支えにもなり、本当に助かりました。寄付者の皆さま、ありがとうございました。