2017年06月19日
高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」への使途指定寄付(募集期間:2016年4月1日~2017年3月31日)について以下の通り報告いたします。
お預かりいたしました、寄付金総額「94,700,000円」は、「まなべる基金」の奨学金として全額給付させていただきました。ご寄付いただいた皆様のご支援、ご協力に心より御礼申し上げます。
2017年4月1日以降も、高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」の指定寄付金を継続して募集しておりますので、引き続き、多くの皆様からのご支援をお願申し上げます。
まなべる基金使途指定寄付金 | 86,813,196円 |
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それ以外の寄付金(一般寄付金) | 7,886,491円 |
利息 | 313円 |
収入合計 | 94,700,000円 |
第3期(2016年前期/後期6カ月・347人分として※) | 82,860,000円 |
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(2016年前期/後期6カ月・ 74人分として※) | 11,840,000円 |
支出合計 | 94,700,000円 |
※支給額の異なる3年制高校(月額2万円)および4年制高校(月額1.5万円)在籍生徒分をいずれも含みます。
公益財団法人東日本大震災復興支援財団では、東日本大震災発生を受け、2011年11月に高校生対象給付型奨学金「まなべる基金」を創設いたしました。
震災後、被災した学生向けにたくさんの奨学金制度が立ち上がりましたが、その多くは遺児・孤児が対象のものでした。
また同じ被災地でも、被災や失業による経済的な理由で進級・進学が危ぶまれる学生がたくさんいることも分かりました。
当財団は、そうした状況を被災地の皆様から伺い、返還不要の奨学金を、月20,000円、在籍中最長4年間(※1)給付する奨学金制度の実施を決定いたしました。
これまでまなべる基金では、第1期(2012年4月給付開始)では1,192人、第2期(2013年4月給付開始)では815人、第3期(2014年4月給付開始)では472人、第4期(2015年4月給付開始)では87人、第5期(2016年5月給付開始)では77人、第6期(2017年5月給付開始)では91人を対象に(※2)支援を行っております。
2017年3月には、第1~5期の奨学生のうち、356人が無事卒業し、それぞれの新しい道を進むことになりました。
「まなべる基金」を受給していた卒業生から、寄付いただいた皆さまへメッセージをいただきました。是非ご覧ください。
※1まなべる基金(第4期)からは3年制高校は年16万円、4年制高校は年12万円を給付しております。
※2支援決定後の辞退などがあったため、発表時の人数と支援人数とは若干異なります。
私は、東日本大震災を経験したのは小学校6年生で卒業式を目前に控えたときでした。午後の道徳の授業が終わりに、今まで味わったことのない強い強い揺れ感じました。揺れが落ち着きしばらくすると、学校のすぐ前を流れる、普段は穏やかな大川が氾濫していました。港の船や材木などが流れてきて、校庭がものであふれ、その水かさはどんどん増し、学校の2階まで達していました。目の前に広がる光景は当時の私にとってどれも信じられない光景の連続でした。
幸いにも母や兄、姉の家族全員は何とか無事で、次の日には再会を果たすことができました。しかしながら、川辺にあった自宅は全壊し、思い出のものを全て失ってしまいました。自分の母校や自宅を失ったことで私自身とても精神的に追い詰められましたが、様々な人たちに支えていただいたお陰で、今日まで生活してくることができました。
母子家庭の私の家で、母が中学の修学旅行などの際に家計をやりくりしながら苦しんでいる姿を見たことで、高校生活では少しでもその母の負担を減らしたいと思い、まなべる基金に応募しようと決めました。
まなべる基金でいただいた奨学金は、母を少しでも助けてあげられるよう、修学旅行など負担が大きくなるときなどに使わせていただきました。
震災があり大変な中でも母は私に不自由の無い生活をさせるためとても頑張ってくれました。普段は、照れくさくて、あまり自分から母に学校生活について話すことはない私でしたが、今後は私が働くことで少しでも恩返しをして母を楽にさせてあげられるように頑張りたいです。
私が充実した楽しい高校生活を送ることができたのは寄付者の方たちのおかげだと思っていて、本当に感謝しています。私が支えていただいたように、まなべる基金の寄付者の方々によって、たくさんの東北の高校生が支えられていると思っていて、これからもまなべる基金は続いていってほしいなと思っています。そして私が寄付者の皆さんに支えていただいたように私自身もこの先誰かを支えながら生きていきたいです。
震災当日は、先生に誘導された高台に避難し、幸いにもそこで母や祖父母、兄と再会を果たすことができました。ただ、養殖業をしていた父とはすぐには再会することができず不安な思いを募らせていました。津波の際船で沖を漂っていて父が、震災後二日目に目の前に現れた時には家族全員で抱き合って涙しました。家は全壊してしまったため、その後は親戚の家や、他の家を転々と移動しながら暮らしていましたが、高台の仮設住宅に引っ越しをして6年目を向かえています。
今は、土地を買って家を再建しまもなくその家に引っ越します。家族8人が2軒に分かれての仮設住宅の暮らしはとても狭く窮屈でしたが、今ようやく家を再建することができてとても嬉しく感じています。
兄2人も進学していたため学費がかなり家計を圧迫して火の車だったため、まなべる基金でいただいた奨学金は、自分の高校生活を続けるために、受験準備を始め様々なことに使わせていただきました。
高校では、高校野球で昔活躍していた兄の影響もあり、野球が好きで公式野球部のマネージャーを3年間続けていました。部員数が少なく雑用が多く大変なことも多かったのですが、やりがいを感じながら取り組んできました。
将来については、ピアノの先生を目指したこともありましたが、子どもが好きで卒業後は短期大学に進学し幼稚園教諭を目指して学ぶ予定です。
寄付者の方には感謝の気持ちしかありません。本当は実際に寄付者の方にお会いして感謝の気持ちをお伝えしたけれどもそれは難しいので、この感謝の気持ちを忘れずに、進学先でも頑張っていきたいと思っています。そして、将来、自分が社会人になった時に自分も困っている人の支えになれたらと思っています。
大地震により、自宅は全壊し、しばらくは親戚や知人の家にお世話になっていました。電気も水道も全部止まってしまいしばらくは不便な生活が続きましたが、家族全員は無事だったので協力し合いながら頑張って生活していました。その後、別の地域への引っ越しも検討しましたが、住み慣れた地域を離れたくないということで中学1年生の夏ごろに、自宅の近くにあった半壊した家を買いリフォームして生活していました。
まなべる基金でいただいた奨学金は、学校へ通うため交通手段としてバスの定期購入に役立てました。
昔は、祖母が床屋を営んでいたので祖母と同じ道を目指したいという思いもありましたが、体を動かすことや子どもが好きなので、卒業後はスポーツの専門学校に進み、幼稚園教諭の資格取得を目指す予定です。
親に対しては、これまで反抗して叱れることも多々ありました。しかしながら、これから親元を去ることが決まり思い返すと、自分を叱ってくれたのは私が一人の人間としてちゃんと生きていけるようにと私のことを思ってのことだと感じているので、今は親に対して感謝の思いでいっぱいです。
3年間奨学金で支えていただいた寄付者の皆さん、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを忘れず、これからも自分の夢をかなえるために頑張っていきます。