2023年04月25日
震災当時、6歳だった私は祖母の家にいました。小さかったのもあり、初めて大きな地震を体験してとても怖かったのと、次にまた大きな地震がくるんではないかと怯えていたのを覚えています。祖母の家は高台に位置していたので無事でしたが、私の家は大きな被害を受けました。電気や水道が止まっている中、近くに常安寺というお寺があり、当時大人たちが協力して水を汲みに行く姿を見て私も協力しながら困っている人のサポートをしたいと子どもながらに当時感じていました。
震災後は、母が体調を崩し、家計的にも厳しい状況でしたが、中学から始めたバレーボールを高校でも続けたく、備品や遠征費に充てるために「まなべる基金」の応募を決めました。
頑張ったことは、3年間続けた部活動です。高校でも引き続きバレーボール部に所属し「県大会で一回戦を突破する」という目標を掲げながら取り組んでいました。1年生から大会に出場しており、1、2年生のときは目標を達成できなかったのですが、先輩たちの姿を見て、私が3年生のときは目標を達成したいと思い、日々練習に取り組んできました。
3年生ではキャプテンを務めることになり、最初は部員一人一人の意見をまとめることが難しく、うまくいかないこともありましたが、少しずつみんなで協力してチームの団結を高めることができ、結果、目標としていた一回戦突破を達成することができました。
高校卒業後は道路舗装をする仕事に就きます。授業で岩手県沿岸部にある舗装工事の企業を見学した時に、舗装作業の体験を通じて私たちの生活を支える「みちづくり」に興味を持ったからです。
私が住んでいる宮古市には、高齢者が多く住んでおり、学校から帰ってくると「おかえり」と優しく声をかけてくださいます。高齢者や子どもたちが安心して歩くことができる綺麗な舗装道路づくりを通して元気あるまちづくりに貢献していきたいです。
また、私の父は働きながら母のサポートや3人の兄弟を支えてくれて、その姿がとてもかっこいいと思っています。今後は私も家族をささえていけるように一生懸命働きたいです。
まなべる基金の寄付者の皆さま、私たちの高校生活を支えてくださりありがとうございました。これまで私が経済的な不安を感じることなく、学校生活や大好きなバレーボールを続けられたのは寄付者の方々のおかげです。心から感謝しております。頂いた奨学金は、部活の遠征費用や授業に必要な物品の購入などに充てさせていただきました。
これからは仕事の中でより専門的な知識や技術を身につけて、豊かで安全なまちづくりへの貢献を通じて、これまで支えてくれた方々への恩返しをしていきたいと思います。
私は頂いた奨学金を部活動での費用に使わせていただいたことで、3年続けることができました。奨学金は自分の好きな事やチャレンジしてみたい事に使い、高校生活を悔いなく送ってほしいと思います。